私でもできること

先日、骨髄バンクのドナー登録してきました。
10代の頃から気になっていたことだけど、10代は今より情報が簡単に手に入る世の中じゃなかったから、なんとなく時間が過ぎて、20代は精神的な病気になり、社会に出てもがいてたから、自分以外に目が向きませんでした。
30代は不妊治療と子育てであっという間に時間が過ぎて、ふと気づいたら40代で、やりたいことができる時間が少なくなっていることにも気づきました。
骨髄バンクのTVCMの影響も大きかったかなぁ?

友だちに「骨髄バンクのドナー登録した」と言ったら、「いい人」と言われたけれど、別にいい人になりたくてしたわけじゃないのです。

実は、私、稼ぎが多いわけじゃなくて、自分を卑下しているところがあります。
だから、経済力の大小がその人の価値のように思っている節があります。
もちろん、経済力があっても、人間性が伴わない人がいるってことは、頭では分かっています。
でも、今までそういう人に出会ったことがないのです。

そして、自分が稼いだお金でほしいものを買う、子どもに好きなことをさせてあげたい、いろんな経験をさせてあげたい、いい教育を受けさせてあげたい、と思っても、お金がなくちゃ難しいのも現実です。

だから、そうさせてあげられない自分が不甲斐なくて、子どもに申し訳ないと思うとともに、社会に出て、自分なりに努力してスキルアップを図ってきたけど、やっぱり、後輩を持ったこともリーダーになったこともないから、転職して収入増を思っても、今の私のスキルと企業が求めるキャリアにギャップがあるから転職活動で落ちてばかりなんだろうな、なんて自分ではどうしようもないことを思うのです。

世のため人のためって、仰々しく考えているわけではないけど、子どもができてから、子どもたちに自分が何を残せるか、何ができるかを考えるようになりました。
稼ぎが少ない私が世の中に貢献できること、って本当にわずかなことしかないんですよね。

子どもにお金を残せるわけじゃないし、教育にだってそんなにお金をかけられるわけじゃないから、子どもが身につけられる教養も、特別なものではないかもしれない。
その他の資産も、残せるものなんて有形無形に関わらず、大してない。
こんな自分が役に立てることってあるのかな。

そんなことをせわしない日々の中で、モヤモヤ、少しどんよりしながら思っていました。
そんなとき、ふと、骨髄バンクのドナー登録のことを思い出して、登録してきました。

私の体で役に立てることがあるなら。

さっき、私に「いい人」と言った友だちは、病気で薬を飲んでるから骨髄バンクのドナー登録はできないけど、臓器移植の意思表示はしてあると言っていました。

自分の体が人の役に立てるのにも、期限があって、若いときはその期限がずっと先のことに思えてしまいます。
でも、ずっと先に思うことも、確実に時間は過ぎて、その「ずっと先」と言っていたときは来ます。
過ぎると早く感じる時間も、今生きてる時間の早さと変わらないのです。

そう思ったら、私の骨髄バンクのドナーとしての時間は12年ありますが、案外短いのかもしれません。
いえ、短く感じるのかもしれません。

古今東西、老若男女、貧富の差があっても、時間は平等に与えられます。
その時間を少しでいいから、自分以外の何かに使えたらいいな。
それが、我が子でも別の人にでも。
大したことができない私が、長い時間かかって、やっとできた小さな一歩。
長い時間かかって、ごめんなさい。
いつか、私の骨髄を必要とする人のために、健康に気を遣って過ごします。