塩あめ持っていきたいの・・・

猛暑の日々。

デスクワークで、室内温度28℃の事務所で仕事をしている私も、ここ数日、日中、頭痛がしています。水分もまめに摂っているのに・・・。

頭痛薬を飲んでも痛みは全く治まりませんが、不思議と朝夕は痛みがないのです。

熱中症

 

昨日、息子が小学校に持って行っている麦茶に熱中症対策用として、手作り経口補水液のように塩と砂糖を入れました。

熱中症対策には水分補給は大事ですが、塩分の補給も大事だということを知ったからです。

経口補水液の作り方をネットで調べて、ふむふむとメモ。

普段、アイスなど甘いものを摂っている息子なので、糖分の摂りすぎをしないように、砂糖は3分の1の量に減らして。名付けて「甘じょっぱい茶」。

本当は、塩タブレットや塩あめを持たせたかったけど、勝手に持たせて学校に迷惑をかけたくないから、このようにしました。

しかし、味がよくなかったらしく、帰宅した息子は「これを飲んだら気持ち悪くなる」と言い、あまり飲んできませんでした。

熱中症対策の水分補給のお茶なのに、飲んでさえもらえないなら、味を付けるのは本末転倒です。

そこで今日は、お茶に入れるのは塩のみにしました。名付けて「塩茶」。

 

そして、一昨日、息子が通っている地元の公立小学校の担任の先生に、

熱中症対策として、塩タブレットや塩あめを持たせてもいいですか」

とも問い合わせました。

「きっと、厄介な保護者だな、なんて思われるだろうな・・・。」とビクビクしながら。

すると、昨日あった個人懇談で

「校長と相談した結果、保健室に塩あめや経口補水液があることと、一人が塩あめなどを持ってくると、他の児童が騒ぐので・・・。保健室に塩あめや経口補水液がある、ということで・・・。」

と言われ、なんとなく、この状態で納得してほしい、これ以上深く突っ込まないでほしい、というような学校側のはっきり言わない言い分が分かり、

「はぁ・・・。」

と納得したような答えをしてしまいました。

本当は、

「保健室の先生は、熱中症対策のための塩タブレットや塩あめの持参についてなんと言っているのですか?」、

「保健室にある塩あめは、全校児童分あるのですか?」、

「塩あめはいつ使うつもりで置いているのですか?」、

「せめて体育の授業のときは認めてほしいです」、

とか聞きたいことや言いたいことはあったはずなのに、その場では何も言えず、帰宅後もやもやして言えなかったことに自己嫌悪。

やはり小心者で臆病者の私。

 

個人懇談中、エアコンのない、2台の扇風機がムワ~ッとした風を送る教室で子どもたちや先生が授業をしていることに私が触れると、

「子どもたち、がんばってますよー」

と、力強く答える先生。その気迫に押されて、

「そうですか・・・」

と、答えるのが精一杯の私。

 

がんばるところがちがうでしょ?

児童や生徒ががんばるところは、勉強や人前で自分の意見を言うことや協力することなど、学校でしかできないことなんじゃないの?

こんな蒸し風呂みたいな教室で児童が授業を受けていることや先生が授業しているのは、「がんばってる」じゃなくて、「耐えている」が適当な表現じゃないの?

こんな暑さに耐えなきゃならない状況では、集中力がなくなり、学習が能率的になるわけがないなんて、素人の私でも分かります。

社会に出れば民間企業では、利益を出すために、「効率」「能率」「生産性」なんて言葉が、第一に考えられるのに、学校では「がんばろう」「がんばる」の言葉でひとくくりにして、具体的なことを話さないで物事を終わらせるのだろうかと、とても疑問に感じました。

勿論、学校が学校の設備に関して決定権を持っているとは思っていません。

 

私の住んでいるところは山のふもとの田舎で、のどかで隣近所みんな顔見知り、と言えば聞こえはいいけど、この地域特有の価値観があって、その価値観に異を唱える者は、

「おかしい人」

「あの人は協調性のない人」

というレッテルを張られてしまいます。

 

話は横道にそれますが、この地域特有の価値観とは、「この地域はとてもいい所」というもの。

その理由は、「小京都と言われるくらいの歴史と文化がある」、「大きな自然災害がない」ということです。

小京都と言っても、全国に小京都と名乗っている所はたくさんあるし、お世辞にも小京都と聞いて、この地域を思い浮かべる人がいるとは言えません。

大きな自然災害がないと言っても、数年前に大雨によって河川が氾濫し、浸水した地域も一部ありました。

それに異常気象が当たり前になっている昨今、いつ自然災害に見舞われるかなんて分からないのに、おかしなことを言っていると思わないのか、と、私は首をかしげてしまうのです。

でも、わざわざ意見する理由もないので、「郷土愛があるんだなぁ」と思っています。

 

さて、話を戻します。

もうすぐ夏休みになるから、学校の熱中症対策については、それまで何も言わず静かに過ごしていればいいのかもしれないけど、9月の新学期になったって、暑い日は続くし、熱中症の恐れはあります。

担任の先生に疑問や思いを伝えようかどうしようか悩んだ末、疑問をお伝えすることにしました。

 

息子は塩味のお茶をなんと言うのか。どれだけ飲んできたのか。

その答えを聞きながら、担任の先生への質問を作ろうと思います。

はぁ、ドキドキする・・・・・。

私は、本当に小心者だし、臆病者なのです。

モンスターペアレンツみたいに思われても嫌だけど、子どもたちの命に関わることだから、勇気を出して質問します。

はぁ・・・。ドキドキ。

私でもできること

先日、骨髄バンクのドナー登録してきました。
10代の頃から気になっていたことだけど、10代は今より情報が簡単に手に入る世の中じゃなかったから、なんとなく時間が過ぎて、20代は精神的な病気になり、社会に出てもがいてたから、自分以外に目が向きませんでした。
30代は不妊治療と子育てであっという間に時間が過ぎて、ふと気づいたら40代で、やりたいことができる時間が少なくなっていることにも気づきました。
骨髄バンクのTVCMの影響も大きかったかなぁ?

友だちに「骨髄バンクのドナー登録した」と言ったら、「いい人」と言われたけれど、別にいい人になりたくてしたわけじゃないのです。

実は、私、稼ぎが多いわけじゃなくて、自分を卑下しているところがあります。
だから、経済力の大小がその人の価値のように思っている節があります。
もちろん、経済力があっても、人間性が伴わない人がいるってことは、頭では分かっています。
でも、今までそういう人に出会ったことがないのです。

そして、自分が稼いだお金でほしいものを買う、子どもに好きなことをさせてあげたい、いろんな経験をさせてあげたい、いい教育を受けさせてあげたい、と思っても、お金がなくちゃ難しいのも現実です。

だから、そうさせてあげられない自分が不甲斐なくて、子どもに申し訳ないと思うとともに、社会に出て、自分なりに努力してスキルアップを図ってきたけど、やっぱり、後輩を持ったこともリーダーになったこともないから、転職して収入増を思っても、今の私のスキルと企業が求めるキャリアにギャップがあるから転職活動で落ちてばかりなんだろうな、なんて自分ではどうしようもないことを思うのです。

世のため人のためって、仰々しく考えているわけではないけど、子どもができてから、子どもたちに自分が何を残せるか、何ができるかを考えるようになりました。
稼ぎが少ない私が世の中に貢献できること、って本当にわずかなことしかないんですよね。

子どもにお金を残せるわけじゃないし、教育にだってそんなにお金をかけられるわけじゃないから、子どもが身につけられる教養も、特別なものではないかもしれない。
その他の資産も、残せるものなんて有形無形に関わらず、大してない。
こんな自分が役に立てることってあるのかな。

そんなことをせわしない日々の中で、モヤモヤ、少しどんよりしながら思っていました。
そんなとき、ふと、骨髄バンクのドナー登録のことを思い出して、登録してきました。

私の体で役に立てることがあるなら。

さっき、私に「いい人」と言った友だちは、病気で薬を飲んでるから骨髄バンクのドナー登録はできないけど、臓器移植の意思表示はしてあると言っていました。

自分の体が人の役に立てるのにも、期限があって、若いときはその期限がずっと先のことに思えてしまいます。
でも、ずっと先に思うことも、確実に時間は過ぎて、その「ずっと先」と言っていたときは来ます。
過ぎると早く感じる時間も、今生きてる時間の早さと変わらないのです。

そう思ったら、私の骨髄バンクのドナーとしての時間は12年ありますが、案外短いのかもしれません。
いえ、短く感じるのかもしれません。

古今東西、老若男女、貧富の差があっても、時間は平等に与えられます。
その時間を少しでいいから、自分以外の何かに使えたらいいな。
それが、我が子でも別の人にでも。
大したことができない私が、長い時間かかって、やっとできた小さな一歩。
長い時間かかって、ごめんなさい。
いつか、私の骨髄を必要とする人のために、健康に気を遣って過ごします。

必死すぎるから苦しいんだ

子育て中の皆様

日々、本当に大変ですよね。

なにがって、育児、家事、仕事、自分の健康に家族の健康管理、子供のスケジュールの管理、子供の学校からの課題のチェック、実家の親の身の回りのことなど・・・・・。

なんでこんなにやること多いの?

忙殺される日々に自分の将来もよく分からない毎日。

そんな毎日に思うことを綴っていこうと思います。

 

<自己紹介>

家族構成は、同居の義理の両親、12歳年上の夫、小2の息子とアラフォーの私。

計5人で、日本の山のふもとで暮らしております。

実家の祖父母は漁師で、父親はサラリーマン、母はパートの兼業農家でした。ふりむけば後ろに海があるようなところに実家はあり、海沿いの工業団地と潮風が強く肥沃ではない砂地の田んぼを見て育ちました。

 

私は三人きょうだいで、一つ上に姉、私(女性)、二つ下に弟がいます。アラフォーの3人。

姉は安定の公務員、弟は海外で働いてそれなりのお給料を頂いている模様。

私は・・・・・、20代から資格やら免許やら、やたらスキルアップに励んでいる割には、基本給は高校の新卒の人と変わらないようなもの・・・・・・。

地元の女子短大を卒業後、20歳から社会に出て働いていますが、ボーナスなんてまともにもらったの、片手で足りるくらいの回数。

転職してるから?能力がないから?

なんですかね。

酒と女とギャンブルと短気で脱サラし、農業で数千万借金した父に振り回され、最初の就職先は内定を辞退することになり、父の意向で田舎の市役所の臨時職員になっている間、簿記の資格を取って事務職の正社員になるんだと意気込んで日商2級、全商1級取ったものの、脱サラ後、漁師になっていた父が「鮮魚店を開店する。お前、市役所やめるならちょうどいいから鮮魚店を手伝え。できないなら家を出ろ。ごくつぶし。」と脅され、大阪で働いていた弟が会社を辞めて、実家に帰ってきたのと時を同じくして鮮魚店の手伝い。

2年後、東証上場の会社に正社員として就職するも、ブラック企業で体を壊し、1年半で転職。

28歳で結婚し、車で1時間離れた隣の県の山のふもとに嫁いで最初から完全同居。

冬の雪の多さと除雪の大変さにビクビクしながら、今の土地に14年。

不妊治療をし、35歳で一人息子を出産。

小5より摂食障害、39歳で双極性障害

27歳より茶道を始め、茶道と着物を好きになりました。今は子育てと経済面でそれどころではありませんが。

赤字でいつ倒産するかわからないような会社で総務、経理の事務をしています。

着物と茶道が好きで、観光客向けの着物レンタルのお店を開きたいと思うも、観光客がおらず断念。

糖尿病で週3回人工透析をしている義父、中学卒業から40年一つの会社に勤めた義母、地元の会社に就職し、消防団に生きがいを持っている夫、工作好きで受け口で歯並びの悪い息子、夫の定年退職後の収入減に備え、収入アップをもくろみ、ただ今転職活動中の私。

農業の借金問題以来、親戚一同から白い目を向けられている父、股関節や肩の関節に人工関節を入れて最近、また股関節に人工関節を入れた母。

バツイチで私と同じ双極性障害の姉、イギリスで働き家庭を持った弟。

正義感が強い割には自信のない自分にもどかしさを感じている、そんなこんなの私の日常。

では、これからよろしくお願いします。